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2008.05.10 Saturday
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ラテン語という言語にすこしだけ興味もったので買ってきて、すぐに読了。文法書とかの部類ではなくラテン語という言語の紹介のような本なので、ラテン語の知識がない私のような人間でもサクサクと読み進められた。
ラテン語は日本語ではカタカナで表記する言葉の語源に関わっている言葉だけに、言葉のたどってきた歴史が少しだけ分かるようになり面白い。例えば↓のようなところ
アニマは命に関係しているから-alという接尾辞で拡大してanimalとなると「命を持ったもの=動物」であり、そのまま英語となる。規則変化動詞の語尾-areをつけた動詞animareは「命を吹き込む」の意味をとり、そこから派生した抽象名詞animatio「命を吹き込むこと」が英語でanimationとなった。
宮崎駿氏の作品でも見るとおり、日本人は動画を作るのは大得意だが、アニメーションフィルムのような長い単語は発音しにくく、勝手に省略してアニメと呼ぶのが慣例である。すると、アメリカでの日本製アニメの熱狂的ファン、つまりアニメオタクが日本人に倣ってanimeという呼称を用いはじめ、それが今ではほぼ世界中で通用する単語に成り上がってしまったようだ。
P202より(※1)
広く浅くといった感じの紹介本なので、本格的に(?)ラテン語に興味をおぼえたなら巻末にある参考文献のところからいくつかを選んで勉強するのがいいのかな。時間ができたら――できるかどうかが一番問題なのだが――参考文献のところから数冊買って勉強してみようかとも考え中。
※1:本書の中では句点は「.」読点は「,」で書かれているがそれぞれ「、」「。」に代えて引用した。
この短編は引用部のあと、五行で終わる。作中たしか唯一の固有名詞をもつ杳子(通読したのがかなり以前なので記憶がすこしあやしい)のまさに「杳」の文字が物語りの中に浸食したとでもいうべき結び。「明日、病院に行きます。入院しなくても済みそう。そのつもりになれば、健康になるなんて簡単なことよ。でも、薬を呑まされるのは、口惜しいわ……」
そう嘆いて、杳子は赤い光の中へ目を凝らした。彼はそばに行って右腕で杳子を包んで、杳子にならって表の景色を見つめた。家々の間にひとすじに遠ざかる細い道のむこうで、赤みをました秋の陽が痩せ細った樹の上へと沈もうとしているところだった。地に立つ物がすべて半面を赤く炙られて、濃い影を同じ方角にねっとりと流して、自然らしさと怪奇さの境い目に立って静まり返っていた。『杳子・妻隠』 新潮文庫P145より
「日」ではなく「陽」の文字を使ったのは、「陽」が「ヨウ」とも発音されるからかもしれない。こういった小説を書く著者の作品から引用をおこなう場合、やっぱり文字をそのままに引用したい。【杳】
△ヨウ(エウ)
1,くらい
2,ふかい。奥深い
3,はるか。とおい
解字
指事。木の下に日があることによって、日が西に沈んで、くらいの意味を表す。漢語林 改訂版 大修館書店より
もし読書に順番というものがあるのだとすると、私は明らかに順番を間違える人なのだと認識させられた。「続」の方から読み終えてしまったは間違えなく失敗だったと思う。各作家に対する著者の評論がまとまって読める。ロブ=グリエ、サロート、デュラスに関する章はかなり詳細に書かれていて、中々勉強になったし、単純に読み物としても面白い。取り上げられている作家に興味がある人、文学史などに興味がある人などにはよい本なのではないでしょうか。私のように「続」から読まずにこちらを先に読んだ方が絶対よいと思います。
奇妙な文になっていたので少々修正(2006/1/10 PM 9:45)